家庭教師ヴォックスのナルトの一言(仕事の流儀)
こんばんわ!
家庭教師ヴォックスの前田成斗、通称ナルトです。
さて、先日、深夜にNHK「仕事の流儀」の再放送を見ま
した。
染織家・志村ふくみ 『いのちの色で、糸を染める』
http://www.nhk.or.jp/professional/2013/0527/index.html
番組のHPにはこう記されています。
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草木染めは、植物のいのちを奪う残酷な行為でもある。そ
れゆえに、志村は強い覚悟を持って挑む。
「糸に変身する色は、死と再生があってこそ生きる。ただ
採ってきて染めたではないんです。本当に大切ないのち
を頂いているという意識がなければ、草木染めはやって
はいけないことなんです」。
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こういう意識を長い間持ち続けられているから人間国宝に
も認定されているんでしょうね。
「本当に大切ないのちを頂いている」というのは、ホント
言うのはカンタンなんですが、それを実践するのは難しい。
教育というフィールドに限らず、「先生」と言われる職種
では、年数を重ねれば重ねるほど、見る数が増えれば増え
るほど、自分というか、我というのが強くなるんじゃない
でしょうか。
ここでいう「我が強くなる」とは、自分の型ができあがり、
自分の豊富な経験に照らして見切りが早くなるといった感
じです。
「あっ、ダメだ!」ってすぐ思うといいましょうか。
経験や知識が増えれば増えるほど、その判断というか判定
の精度は高くなる可能性は高まるのでしょうが、一方で、
自分の型にはまっていない人の可能性は驚くほど簡単に見
逃してしまうとでもいいましょうか。
著書でこんなふううに志村さんは書いておられます。
志村ふくみ著「色を奏でる」 http://tinyurl.com/muo27oj
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『色をいただく』
ある人が、こういう色を染めたいと思って、この草木とこ
の草木をかけ合わせてみたが、その色にならなかった、本
にかいてあるとおりにしたのに、という。
私は順序が逆だと思う。草木がすでに抱いている色を私た
ちはいただくのであるから。
どんな色が出るか、それは草木まかせである。
ただ、私たちは草木のもっている色をできるだけ損なわず
にこちら側に宿すのである。
雪の中でじっと春を待って芽吹きの準備をしている樹々が、
その幹や枝に貯えている色をしっかり受けとめて、織の中
に生かす。
その道程がなくては、自然を犯すことになる。
蕾のびっしりついた早春の梅の枝の花になる命をいただく
のである。
この梅が抱いている色は、千、万の梅の一枝の色であり、
主張である。
私たちは、どうかしてその色を生かしたい、その主張を聞
き届けたいと思う。
その色と他の色を交ぜることはできない。梅と桜を交ぜて
新しい色をつくることはできない。
それは梅や桜を犯すことである。色が単なる色ではないか
らである
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自分が勝手につくった「型」で子供たちを見ると、その色
じゃないとつい言ってしまう。
そんな色じゃあ、将来ダメだ!とかね。
経験豊富な人や自信がある人ほどそう言ってしまいがちに
なる。
しかし、あなたが自信を持っているその「自分の型」は本
当に謙虚に吟味されたものなのか。いついつまでも通用す
るものなのか。
また、子供には「じぶんの色」がある。
同じように育てたはずの兄弟姉妹がまるで違うものに育つ
ように・・・
だからといって、生かすといっても、わがまま放題の子供
の色をそのままってわけにはいかない。
もともと持っている色をさまざまな工夫で変化させ、変え
ていく。
それは本来持っている「色」を殺すことじゃない。
志村ふくみ著「色を奏でる」 http://tinyurl.com/muo27oj
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『媒染のはなし』
あるひとが私のことをこう言った。
志村さんは離婚という媒染によって、染織の仕事をするべ
く染め揚げられた、と。
離婚が媒染になったという表現は少し妙であるが、言葉を
かえれば媒染とは受苦、何らかの苦しみ、痛み、あるいは
変動といってもよい。
生まれたままの姿ではなく、媒染剤によって色が変わる、
あるいは発色するのである。
梅なら梅の液でともに染められたものが、灰汁や石灰や鉄
で媒染することによって、それぞれ違った色になる。
親のもとで成長した息子や娘が年頃になって結婚し、就職
し、環境によってそれぞれの色彩に変わってゆく。
もちろん人間の場合それほど単純ではないが、それもある
種の媒染である。
自分の持っている素質と、遭遇した事実との関わり合いで
どんな色彩に変わってゆくか。
人間にもさまざまな苦患を負いますます輝く人もあるし、
痛めつけられて衰弱してしまう人もある。
でき得るならば人間の場合も、自分にもっとも適した媒染
を受けて、その素質を伸ばしてゆきたいものである
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子供にとっての媒染の役割を誰が果たすのか。
親か? 学校か? 先生か?
媒染のためにはその子供の色を知らなければいけません。
今日は薄い色で明日はちょび濃い色ってこともある。
とにかく毎日観察して付き合うしかないのではないでしょ
うか。
志村ふくみ著「色を奏でる」 http://tinyurl.com/muo27oj
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あとがき
・・・人からみれば大いなる失敗、挫折、失意のどん底。
そこから仕事ははじまった。
もしその挫折がなかったら、私は平凡な一介の主婦だった
かもしれない。
人を相手ではなく、素材が相手、素材と深くつき合う。手
の先、指の触感が糸と語る。
私を選ぶのは素材なのだ。
素材が私をはねつけ、そっぽをむいてしまうことも屡々だ
った。
或る時から、素材がふっと私に寄り添うようになった。素
材のさまざまな表情が織の底から浮び上り、つつましく微
笑んだり、厳しく射るように私を戒める。
いつでも素材がそこでやすらいでいられるように、私は十
全の心くばりを怠ってはならないのだ。
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子供は「物言わぬ」素材ではなく、「物言う」素材。とき
にはねつけられて、そっぽを向いても、逃げるわけにはい
きません。
ゲームじゃないからリセットもできない。
なにもかも詰まってしまったら、「子供の色」ってもとも
とどんな色だろうか?って自分に問い返してみたらいいで
すね。
黄色を茶色にしようって無理な試みをしているかもしれな
いじゃないですか、ねえ( ̄▽ ̄)?
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いろいろ語ってしまいました。
以上です。
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